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1月の俳句鑑賞
うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火
前書きに「昭和6年、熊本に落ち着くべく努めたけれど、どうしても落ち着けなかった。またもや旅から旅へ旅を続けるばかりである。」とある。煩悩から逃れるために旅から旅を続ける山頭火である。
朝の海照る頬刺は指もてくらふ 富安風生
「頬刺」鰯が顎から串刺しにして乾される様子をいう。俗に目刺というがどうも頬に串を通して乾すのが本筋のようである。「頬刺」鰯が顎から串刺しにして乾される様子をいう。俗に目刺というがどうも頬に串を通して乾すのが本筋のようである。念のために目刺」で調べると刺繍の「目刺」が出てくる。魚好きなわたくしは子供のころから目刺フアンであった。老いては酒の肴に欠かせない好物である。しかし、確かに乾し鰯は顎から串刺しされて干されている。俳句で覚えた調理法である。これからは「顎刺し」と注文してみよう。風生が愛酒家であったかどうかは知らないが、掲出の句が朝の景なので旅先の朝食の景と思われるが、やはり朝酒の姿が髣髴されるのは愛酒家の私の過剰鑑賞だろうか。
河豚を食ひ夜の玄海荒れやまず 縣 恒則
玄海といえば河豚。いわんや冬の荒れ玄海とはまさに河豚の旬である。鰭酒を重ねた若い頃が懐かしく思い出す。私事になるが大阪勤務の長かった私は河豚の季節には広島・博多・四国への出張は冬と言えども厭うことはなかった。それに、四国の人も九州の人も愛酒家が多く、盃を手から離すことなく酌み交わしたものである。玄界灘の波音を耳にしながら河豚で一杯・・思うだけで涎がこぼれそうだ。
ー扉の俳句鑑賞ー
海を日の抽きて今年となりにけり 岸風三楼
「いのこづち」野原で遊んだ子供のころはズボンに泥や草の実をつけて遊びまわつったものである。帰宅してそのまま座敷の上がろうとすると母に叱られたものである。泥だらけの手足を洗って座敷に上がれというのが躾であった。手足を洗えと言っても今のように水道水ではない、江戸水を汲んで洗わなばならない。面倒くさいが新鮮な水で手足を洗うと気持ちもすっきりするのは事実であった。そして、座敷に上がろうとすると、母は目ざとくズボンについている草の実や泥を払って、合格の合図でお尻をポンとたたく。懐かしい思い出である。そして体の怪我を見つけると、手早く処置をしてくれたものである。何しろ腕白だったから生傷は絶えない毎日であったと記憶している。今も風呂に入って足に残る傷跡を見ると、そんな子供時代がよみがえる。
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季語のあれ(?)これ(!)
年の内
年の暮れほどに押し詰まった日ではない。陰暦では年によっては年内立春もあるので、押し迫った感じではない年の暮れである。
年内の大荒れの胃や風邪五日 山崎 貴 
義士会
12月14日は赤穂浪士47士の本所吉良邸への討ち入りの日である。芝居にも上演された歴史的にも有名な出来事である。
天窓見て義士討入りの日と思ふ 加倉井秋を